(プロクライマー) 世界最難ルート
「アクションディレクト」制覇。
MUSASHIは常に・・・
世界最難関ルートの制覇にジョイントが貢献
ドイツの「アクションディレクト」を登ろうとする時に、右手の薬指の腱をバキッと痛めてしまったので、JOINTを、祈るような気持ちで朝昼晩と毎日欠かさず飲んで驚くほど早く回復し、2週間程でまたルートに戻ってこれました。今までの経験から、一度パキると半年間はまともに登れないので、今回は異常な早さで回復したことになります。
怪我をしてから15日目、その日2回目のトライで「アクションディレクト」を登り切りました。
世界トップクライマー・世界最難ルートアジア人初制覇 プロフリークライマー 小山田 大さん
「アクションディレクト」成功は僕自身のクライミング人生のみならず、日本の登攀(とうはん)史に残る出来事だと思います。
「アクションディレクト」は1991年に当時世界最強のクライマーであった 、ウォルフガング・ギュリッヒによって登られました。
北フランケンユーラ地方の丘陵地帯には、たくさんの石灰岩の岩峰が点在しています。その一画の、ウォルドコプフというエリアにある高さ15mほどの 145°に前傾した岩峰にこのルートはあります。ルートのホールド(手掛かり)は指の第一関節が1本か2本かかるポケット(穴)で構成されていて、極めて 指の力を要求されるルートです。当時世界最難のルートとして発表された当時、僕はまだクライミングを始めたばかりで、ルートの概要を雑誌で読んでも全く解らないというレベルだったのですが、いつかこのルートが登りたい、と心に決めていました。90年代を生きたクライマーなら誰もが憧れたこのルートはその後14年間でわずか5人の再登しか許さず、名実ともに世界最難ルートとしてその地位を保ってきました。
2002年、僕は「アクションディレクト」をトライすべくドイツ入りしました。その頃僕は、すでに多くのハードルートに成功していて、少なからず自信があったのですが、それは1回目のトライでボロボロに崩れ去ってしまいました。こんなに難しいのか、心のどこかで 10年以上前のルートがそんなに難しいわけがない、というおごりもあったのかもしれません。とにかく力、それも純粋な指の力がないとこのルートは登れない、そんな印象でした。
この日を境に、より瞬発力、指力の必要となるボルダリングに傾倒していきました。3年間ボルダリングのみに集中し、ボルダリングの分野でも、たくさんの大きな成果を上げることができました。しかしその間も「アクションディレクト」が頭から離れることはありませんでした。
そして2005年10月15日ついに「アクションディレクト」を登り切ることができたのです。
しかし、今回の成功も容易なものではありませんでした。ツアーわずか4日目にして右手の薬指の腱を痛めてしまったのです。クライマーの間では俗に「パキル」というのですが、これは壊す際にバキッという音がするところからきています。僕もこの時はっきりと音を聞いたのを覚えています。下にいたドイツ人のクライマーから「大きな音がしたけど大丈夫?」と聞かれたほどでした。
現地入りしてすぐにトライを開始、今思うと時差ボケ等、体調が完全ではなかったのかもしれません。そして3年前とは比べものにならない成長振りにも酔っていました。
3年前、まったくできなかった部分もできるようになり、天候もこの地方にしては異例の好天続きであせってしまったのも悪かったように思います。トライを始めてから3日目、右手の二本指ポケットで引き付けた時、僕の指は音をたてて壊れてしまいました。壊した時は頭の中が真っ白になってしまい、何も考えられなかったのですが、落ち着いてくるにつれ日本で応援してくれている人達の顔や、スポンサーのこと、一緒に現地入りしているスタッフのことなどが頭に浮かんできました。
指を触ると痛い上に全く力が入らず、「どうすればいいんだ」と頭の中で繰り返すばかりでした。
その後、治らない指に耐えかねて帰国も考えました。しかしとりあえずしばらく休んで様子を見ようということになり、10日間全く登らない我慢の日々が続きました。その間、日本から持って行ったJOINT(ジョイント)を、祈るような気持ちで朝昼晩と毎日欠かさず飲んでいました。これが良かったのか、いや良かったとしか言いようがないのですが、驚くほど早く回復し、リハビリも含めて2週間程でまたルートに戻ってこれました。
今までの経験から、一度パキると半年間はまともに登れないので今回は異常な早さで回復したことになります。
怪我をしてから15日目、その日2回目のトライで「アクションディレクト」を登り切りました。クライミング初めた頃からの夢であり憧れでもあったこのルートを登れたことは、今までの僕のクライミング人生において最も大きな出来事であり、意味のあることだったと思います。また今回の成功は今までで最も短い回数、時間で登れたというおまけ付きでした。
ヨーロッパ人以外の成功者は今回で二人目、アジア人では初ということもあり、大きなニュースとして世界中で取り 上げられました。
今回の成功の影にはMUSASHIがありました、心から感謝しています。